話半分日記

半分は本気、もう半分はジョークです。お手やわらかに。

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地元がいいところだとは思うけれど、だからそこに住んじゃいなよって時には、道連れが必要だ。つまりは、そこに暮らすことは良いことばかりではない。苦しいことを引き受け、時には「え、これ辛くね?」「いや、めっちゃ辛いじゃん」って言い合える人がいなくてはいけない。

東京の暮らしが合わなくて地元に戻るのではなくて、こうして栃木に帰ることが決まったのは、偶然だ。それ以上でも、それ以下でもない。

もともと帰りたいと思う気持ちはあったけれど、それは良くも悪くも理想のひとつで、いざ現実味を帯びてくると、本をどこで、そもそもどのようにして買ったら良いのか。というところから考え直しだ。生活のリフレームを余儀なくされる。そんなことは移住本には書いてない。

これまでの暮らし方、たとえばふらっと定食屋を見つけたから寄るとか、多すぎるチェーン店からひとつを選び、今日は富士そばを食らうとか、そういうことができなくなる。街灯すらまばらな暗闇のなか、車を走らせるのか電車に乗るのかして、およそ10年ほど空きがある地元を生きなくてはならないのだ。

正直、ふるさとでなかったら移住とかIターンとか言われるようなことにはならなかったと思う。できちゃう人は本当にすごい。カメラを書い、書く仕事を出身地に持ち帰る。流れに任せていただけなのだ、それなりのことを準備をしたけれど、結局はそういうことだ。あらゆる物事の手綱を握ることはできないし。

そういうことだから、地元に帰るのは現状、良いことでも悪いことでもないし、そこで待ってる苦しみを、その場所だからこそ引き受けたい、今はそれしかない。近くに住むということは、親の面倒を見ることが必要になってくることだし、青年団とか消防団とかに入るということだ。東京で考えなくてよかった事柄が増え、自分のキャリアだとか、自分ごとで占められていた領域が減る。

粛々と引っ越しの準備をする。時間を空けてもどった故郷がどのように自分に映るのは、これから東京はどう映るのか。楽しみだな。という覚書。

 

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