話半分日記

半分は本気、もう半分はジョークです。お手やわらかに。

ブランショとダール

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安心して暮らしたい。毎日そんな風に思っているから、身も蓋もなく不安になる。

そういう日々があるのだ。毎日というか、ある瞬間にやってくる寂しさをどうしたら良いのか、未だにわからない。

ある特定の気分というか、そういう不安はもう共生関係なのかもしれぬとすら思う。久々に連絡をとった友人は、こちらのラインの拙いメッセージに、丁寧に電話で返した。相変わらずできるやつだと思った。もっと、人に会いにいくべきなのだと思った。

東京は孤独であるというか、自分がその人生を受け入れられないだけなのではと思った。身勝手に孤独になってみるのはいいけれど、それは時としてとても浅い。何事かのメッセージを引き出すべきかもしれない。

というので、毎日モリース・ブランショの『終わりなき対話』を読む。さっぱりわからないし、ブランショがどういう系譜のもとにこの本を書いたのかもわからない。

このように言っただけでは充分ではない。貧しく、抽象的な、この総体的な真実は、私たちを貧しく抽象的にしてしまうものであるが、真実としてではなく、問いとして私を襲う。そして、この問いのなかには、何かより深いものが、すなわち私たちを問いからも私たちからも逸らせ、遠ざける迂回そものののなかに現前するこのうえなく深い問いが、つねに稼働しているように見える。別様に言うなら、私たちが全体の問いという終点にたどり着くとき、この問いはまた新たに、総体の問いはこのうえなく深い問いであるのかどうかを知る問いのなかに身を隠す。

このp.60の記述から、いかなるものを引き出せようと、この文章それ自体から距離をおくその瞬間的な迂回のなかに、身をひそめるものがある。とりあえず目の前にはないけれど、あるものがそこにあったという形跡を知る者が、それを知覚できないものにその存在をほのめかす。

それだけでブルブルするのである。ブランショのわからなさはとてもスリリングだ。何おかの有用性をはるかに超えたところで、細胞が揺れる。そんな文を読みたい。

 

いつから、想像にたる安心を求めるようになったのか。どうしてワクワクできなくなったのか。どうして毎日、あらかた予想通りであること望みながら、それがまるでセピアな日々であるように感じ、哀愁のためいきをついてしまうのか。

昔から好きな作家ロアルド・ダールが晩年に書いた『一年中わくわくしてた』は、大好きな本で、人に贈ったことがある。その本には、なんて書いてあるだろう。本棚から引いてみよう。7月、ダールはバイクで景色を切るように、240kmも走破したという。高校生の頃。

似たようなことをした。今日、連絡をくれた友人とふたりで、お互いの家に泊まったものだ。夏休み、それこそバイクでいろんな場所に出かけた。学校が終わる、その年の夏だったと思う。

白状してしまうと、その人のことを誤解していると思う。今でも。憎んだり、好きになったり、白んだり、笑ったりした。自分のさまざまな顔を知っている人だ。わかった気になっていた。少なくともそう思った。短い電話だった。

全部とは言わないけれど、すでに秋の大移動をはじめている鳥たちもいる。小洞ツバメが貯水池や湖に集まっているのが目に入るかもしれない。南方へ移動し始めた虫食い喉白もいるし、大膳や鴫が北極地帯からアフリカへ向かう途中、立ち寄ってくる。ところが西岩燕はそうではない。庇のすぐ下の垂直の壁にぶら下がったおかしな泥の巣の中で、二度目に孵った雛たちを育てている。p. 62

ダールの目には田舎の景色がこんな風に映ったし、本人が捉えていた映像はこれが全てではないだろう。都会に住んでいることを随分言い訳にしているものだと思う。さえずりを聞いたり、木々の色の移ろいをないものにしているのは、他でもない自分自身かもしれないな。

そういうことに着目できるようにしていたい。安心できる生活があるのだとして、それが未だに離れていると思えても、それはさておき、ダールのような眼を養うことを、やめてはいけないような気がする。